籠が揺れる。しかもいま自分は、目隠しをされている。
その目隠しは、上杉景勝公が手ずから帯をしゅるりと解いて、弁丸に手渡してくれたものだ。その深い青に光る帯は、景勝にこれ以上ないほど似合っていたから、弁丸は好意とはいえ請けがたかった。しかしの応酬のあと、それを眺めていた直江兼続が間に入った。
「海までは、これを使っていなさいということです。景勝さまは、あなたを驚かせたいのですよ」
「与六!」
景勝は低く鋭く、兼続を制した。犬の子も動きをとめるだろう低い声だが、兼続は慣れたものらしい。飄々と肩をすくめて、彼の主を追った。
弁丸は雪の気配を感じた。珍しくはない。
弁丸の生まれ故郷にも雪はあった。春には種を、夏には水を撒き、秋には馬を肥えさせる四季にまもられた、ちいさな郷だ。
しかし同時に真田郷は交通に位置しており、北条・武田・上杉たとえ猫の額ほどの広さでも、いる誰に奪われてもおかしくない重要な地域であった。
だから、勝頼さまを失ったいま、弁はここにいる、いさせてもらえる。
弁丸は籠のなかで、呟きは口のなかに小さく推しとどめた。
人質生活以外の何者でもない身分のはずだろうというのに、景勝さまは弁に本領の安堵と、十貫文もの加増を約束してくだされた。
これほどの人質があろうか。
「ありがとうございます、景勝さま」
小さく小さく呟くと、研ぎ澄まされた聴覚が、ざざん、という音を拾った。
それは瞬く間に連続して聞こえはじめた。
ざざざざざざざざざざざざざざざ、ん。
「出ておいで」
心なしか楽しげに、景勝は御簾を上げさせた。
「わあ……!」
弁丸が焦って目隠しを、取り籠から乗りだしたときにはもう遅く、背中が岩地にぶつかっている。
「御弁!」
慌てて駆け寄ってくる景勝の口元をおさえ、兼続は弁丸の左手に腰をおろした。
「景勝さまはあなたに、海を見せたかったのです」
「海、でございますか」
弁丸はぽかんと口を開いた。そのままにしておくと舌がからからになったので口のなかをかき回して濡らして、
「海」
と、もういちど言った。
海は冬だった。
たとえ京の都じゅうの墨汁をさがしても、これほどの昏さ持つものには巡りあえないだろう。空の際では淡い青であるのに、こちらへ近づけば近づくほど昏くなる。深いのだろう。得体がしれない。
「舟は、この上をゆくのですよ。この向こうに朝鮮、さらに向こうに、明」
弁丸に、景勝が尋ねる。
「恐ろしいか? 」
「いえ、ただ。圧倒されるばかりです。言葉になど」
「それでよい」
景勝は満足げに目の端をゆるめた。
「与六、籠を片付けるのを手伝ってやってくれ」
「は」
兼続は人足にまじって、籠を担いで岩山をのぼってゆく。景勝と弁丸は、取り残された。何かお話があるのだろう。弁丸は静かに、潮騒に耳を傾けた。
「儂の国は美しかろう」
弁丸はしっかと眼を開いて答えた。
「はい」
「国を眺めて語り合ったことがあった。語りたい男があった。――今はもう、亡い」
「景勝さま」
「御弁、楽しかったぞ。言葉にならない、か。それもよかろう」
弁丸は、自分が人質という、いつか越後を出る身分だからこそ、景勝は多弁になれるのだと気づいている。
だからこそ弁丸は、微笑んで返すのだ。
ここは一生生きたるとしても、きっとうつくしいと。
「弁も。楽しゅうございました」
弁丸=幸村でした。
「真田幸村のすべて」に景勝から幸村への安堵状が登場していてモエに萌えて書きました。このあと幸村はそれを受け取ることもなく、今度は豊臣家の人質となります。切ない。ほらあなたも景勝×幸村書きたくなってきた…(念)
Coccoの「陽の照りながら雨の降る」は伊達政宗と幸村を線でつないでその周りのひとを歌ったイメージがあります。
2009/01/05 再録