辺り一面、錆色の花が咲いている。
空も河も目に映る全てが花と同じ色をしていた。
何だ、こりゃ、と伏犠は思った。死を前に幻覚でも見ているのか。
相変わらず体は動かず、目だけでキョロキョロと辺りを見回す。どうやら、そうだとしか考えられない。
と、すれば脳とは余程暢気な器官らしい。いつ瓦礫や波に潰されてもおかしくないのをわかっていて、その上、己の下半身の行方もわからんというのに、こんな訳わからん世界をわざわざ作っているとは。お前がそんな場合か考えず、他の誰がそれをするとするというのか。耳や足の裏に考えろ、というのか。起きろ、馬鹿。
だが伏犠がどんなに念じても世界はそのままそこにあった。
体は動かなかったが痛みはなかった。不意に伏犠は睡魔に襲われた。幻覚の中で眠るというのもおかしかったが、意識がどこへ行くのか予測は付いた。眠気は吐き気を伴う程強まり、とろとろと目を閉じかけていると、額に女の手が触れた。傍らに女が座している。眠気が飛んだ。
目を眇ると白くまばゆい光を纏った乙女が微笑みながら、伏犠を見つめていた。美しい、地母神の笑みだ。女神に間違いない。伏犠が釣り込まれる様に笑みを返すと、途端に彼女の表情からあらゆる暖かみが消え去った。
「ニヤつく為に目を覚ましたのか。あのまま死んでいた方がマシだったな」
聞き慣れた声音に完全に意識が晴れた。
伏犠は寝台に寝かされており、女カがそれを見降ろして立っていた。
「お主が助けてくれたのか」
「遠呂智を回収しに行った際にな。部下がお前に気付いてくれた。
瓦礫の下から遠呂智の鎌の柄だけが突き出てたんだぞ。よくもまあ、気づいたものだ」
「その娘にも礼を言わんとなァ。遠呂智はどうなった?」
「お前より傷が浅かった。今は最奥の独房に留置されている」
「そうか、まあ痛み分けってとこじゃのう」
伏羲は呑気な調子で呟いた。
女カは取り合わず、憤りの籠ったため息を吐いた。
「言うべき事があるんじゃないのか」
「ああ」
「私は本来ならお前も拘束するべきだと思っている。
仙界の取り決めを分かっていて、遠呂智を止めに行ったのだから」
「取り決めの方がおかしいんじゃよ。何故止められるものを止めてはいかん」
「わかって聞く奴にどう説明したものかな」
「わかっとらんよ。わかるように教えてくれ」
「ヒトが遠呂智により争いを”知ってしまった”以上、今死に絶えた方がいいんだ。
争いは全てを狂わせてしまう。私はそんなものは見たくない、仙界だけで十分だ。
だがな、確かに一度壊しきって、作り直せばよい、などと傲慢だ。
作り直す必要なんか、無いと思う。繰り返すだけだ。終わらせておけばいいんだ。
だが上が決めたんだ、やらせてみればいいじゃないか。
どうなるか、見ていてやればいい」
うーん、と伏羲は呻いた。
次いで身を起こそうとしたが、鈍痛に阻まれた。
全身がガチガチに強張っており、背が少しも曲がらなかった。
「女カ、起きるのを手伝ってくれんか」
「折角元の位置に詰めてあるハラワタがこんがらがるぞ」
「それは歓迎せんなぁ」
「やめておけ」
「仕方無い。天井に話しかけるわ。
女カ。理論上は正しいが間違っているという事はある」
「またお前の精神論か」
「精神論なぞぶったことはないぞ。実存的観点から見て、神はサイコロを振るし、その目を読み違える位の場所がこの現実なんじゃよ。理論による整合性や効率はこの世に殆ど影響力を持ってはいない。そんなものは頭の中にしかない、実在するのは行動だけだ。個体の一体一体が、どう生きているか、の集合体が世界なのだから。一つでも見殺しにすれば、二度と帰らぬものを失う。多数を救う事を言い訳にすることは無意味じゃよ。
じーさんどもは現実から遠ざかってイカレておる。お主はそうではないが、そうなろうとして自分を苦しめておるな」
女カは答えなかった。
寝返りもうてない伏犠からは天井しか見えない。
とうとう、物音を立てず出て行ってしまったのを知らず、一人ごとを言ってたのかと思い始めた頃、やっと声が聞こえた。
「伏犠お前、いつまで正気でいるつもりなんだ」
「いつまででも、お主が正気でい続ける限り」
「は、泣かせるな」
冷笑的な、取り合っていないのがよくわかる言い方だった。伏犠はどう返していいものか、と思ったが他に言いたい事もなかったので「泣けばよいではないか」と言った。
女カは今度こそ呆れ返って部屋を出て行ってしまった。
伏羲は声を上げて笑った。
お陰で腹が破れ、その夜は眠れなかった。