「孤独の血」




死んだ筈の父親が突然話しかけて来た時、孫策は自室で一人酒を飲んでいる最中だった。
くだんの父の葬儀が終わり、嵐のようだった周辺も取り敢えずは落ち着いた。
全てがどこか夢の中にでもいる様で、現実感がなかった。
確かに孫堅という男は、大将の身でありながら部隊の先頭に立っていた。
だから孫策自身思い返すと不思議で仕方ない事だが、それでも父が死ぬのでは、と一度でも思った事はなかった。ちら、と頭を過ぎりすらしなかったのだ。
暫くは出陣の度、ずらと列んだ兵の先頭に孫堅の姿を探してしまうだろう。
だが見付かる事はない。死んだのだ。それも流れ矢に当たって。
当人さえ生きていれば、笑い話になりそうなつまらない死に方で。
味のよくわからない杯を傾けつつ、そういえば、と孫策は思った。
まだ戦に出始めだった頃に、孫堅に矢をどう避ければいいのか、と聞いた事があった。
その時の孫堅の答えと言えば「いちいち避けられない」というものだった。

「親父、じゃあ当たっちまったら?」
「俺に?その時は孫呉がお前のものになるな」

事実、その通りだった。
あれから幾度も戦に出て、孫策も今では理解している。
戦において、勝つ事と生き残る事は、別種のものなのだと。
勝つ事とは情報を集め、策を練り、戦局を正しく捉え、兵を動かす事、そして勇を振るう事。
挙げればきりがない、戦場で必要な全てを行うことだ。

しかし、生き残る事は違う。

それは則ち、避ける方法のない矢に当たらない、という事なのだ。
故に勝利はより強い者に訪れ、死は等しく訪れる。
恐らく死というもの自体が、避けられぬ矢のようなものなのだろう。

孫堅が孫策の元を訪れた時、孫策の思考と行動は分離状態にあった。
もう止して寝よう、と心は考えていた。体は動こうとせずその場で杯を空け続けた。
世界がぼうっとしているのに頭は冴えていた。まさに、そういう時だった。

「呑んだくれてるな、坊主」

はっきりと声がした。

「親父?」
「そうだ、俺だ。元気そうだな」
「あんたは死んだんじゃなかったっけ?」
「死体を見ただろ」
「見たよ。何だったんだ、あれ?親父が、どっかの何でもないやつみたいな顔して死んでてさ……なんか作りもんみたいだったんだよな、あれって……なあ、これって夢かな?それとも本当に親父なのか?」
「どうかな。俺にもはっきりした事は言えん。だが、俺なら飲み過ぎたんだと思うだろうな」

孫策は思わず少し笑った。孫堅も笑っているのだろうと思った。
声だけで、姿は見えない。だが本物だと思う事にした。
そうでもなければ、どのみち本物には暫くはもう、会う機会は無いのだ。

「かあさんはどうだ」

父の声がそう言った。

「本当にききたいか?」
「いいや」
「怒ってるぜ」
「−−やはりな」
「そうだ。じゃああれだ、呼ぼうぜおふくろここに」
「あのな、策。呼ぶくらいならお前に聞かん」
「親父。なぁ、カンベンしてくれよ。どうせしばらくしたら俺に矛先が向くんだぜ。
権は慎重だからいいけど、俺は親父に似ちゃっただろ」
「そうだな。だから俺は、お前と距離を取っていただろう?」
「え?」

間の抜けた声が出た。聞こえた声を反芻し、孫策はぐっと喉を詰まらせた。
居るだろう男は本物の孫堅に違いない。
父の言葉と思うのも嫌だったが、自分の内からの声だと思うよりましだった。

「――俺、そんな風に思った事なかったぜ」
「そんな声出さんでいい。いいか、策。俺だってお前は可愛かった。が、お前は産まれた時から他と違ったんだ。明らかに才覚があった。手を引っ張るまでもなく立ち上がるのはわかりきっていた。
そういう男の場合、父親の思い出はあまり無い方が良い」

孫策は黙りこくって目を瞑った。
孫堅のそんな思惑には、ちっとも気が付いていなかった。
元々孫堅は家にあまり居なかったし、自分の幼いころの記憶は殆ど無い。
ただ、武人としての父の姿を一目見てすぐ、自分の血が何をしたがっているのかわかった。
自分もまた、孫堅の様な武人になるのだと確信した。
その背を追うのがあまりに当たり前のことで、父が自分をどう思っているかまで深く考えたことがなかったのだ。

「でも俺は親父の事を色々覚えてるし、好きだったぜ」
「そうだったな。栄は残念がっていた」
「おふくろ?」
「うむ。俺たちは別に、夫婦仲が悪い訳じゃなかったんだが、
かあさんは子供たちの一人でも俺に似る位なら、井戸に飛び込んだ方がマシだったんだ」
「どうりで、よく怒られるもんなァ」
「お前を愛しているからこそだ。あいつ、俺に関してはもう諦めてたからな」

本当に夫婦仲に問題がなかったのか甚だ疑わしい台詞を、孫堅はさらりと言ってのけた。

「だが、それでいいんだ。俺はあいつや、お前達や、部下共の為に生きる、という事が出来なかった。
お前のかあさんに、諦めさせたのは俺だ」

孫策は、胃が冷たくなるのを感じた。
喉は相変わらず、異物が詰まっているような圧迫感が続いている。
孫堅は随分と酷い話をしている。だが、勝手だ、と怒る事は孫策には出来ない。
その話は全て、まるで自分の事を言われているようなものだったからだ。
大将が先頭を駆ける事により、孫呉は造られ、今の姿を手に入れた、
それでいいと思っていたが、自覚はあったのだ。
妻や母、きょうだい、部下、友人。
何ものにも代えがたい存在である彼らを、自分は顧みることが出来ない。

「俺、あいつらの事皆好きなんだけどな」
「彼らもお前を好いているだろう」
「どうしたらいいのかな、俺」
「どんな性分に生まれようとも策、出来る事は一つしかない。
後悔せんよう振舞う事だ」
「親父は後悔してないのかよ?」
「していない」

きっぱりと即答され、策は思わず吹き出した。

「じゃあ、どうして俺んところに来たんだよ!」
「それもそうだな。死んでおかしくなったのかもしれん」

孫堅は悪びれもせず、そう言った。

「多分俺は、最後に自分の同類だった男に会っておきたかったんだろう。
そしてこう言いたかった。『同類がいるというのも悪くなかった』とな。
じゃあな、息子よ。かあさんによろしく」

肩を掴まれた感触があった。
そう言えば父親にこうして触れられた記憶がない。
今になってようやくそれにも気が付いた。

「お前が、矢に当たらない事を祈っている」

何か言いたいと思う内に、気配は去ってしまった。
しばらくして、「ありがとう」でよかったんだ、と孫策は気が付いた。




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昨日の晩親父に会った、と言うと、尚香が血相を変えて息巻いた。
曰く、酷い、兄さま、どうしてその時呼んでくれないの、私だって会いたかった、云々。
剣幕に圧倒され、しどろもどろに謝りながら、孫権を見ると、話半分といった様子で仕方なさそうに笑いながら、尚香をなだめる隙を探していた。
その顔を見ながら、孫策は自分が死んだ場合、この弟に何を言うかと想像した。

「ごめんな、権。俺、死にたい訳じゃなかったし死ぬつもりもなかったんだ。でも、何となく、お前がいるから安心だ、って思ってたんだよな。いざ死んだ時も、まあ、お前がいるし、いいかぁ、って。後の事、頼んだぜ」

(言える訳ねぇよなァ)

「兄さま聞いてるの!?」
「聞いてる聞いてる」
「もう!父さまもどうして私のとこには来てくれなかったのかな!
二人とも意地悪よ!」

ようやく言葉が途切れたのをみて、孫権がすかさず間に入った。

「ほら、兄上。父上とはどんな話をされたんですか?」
「え、ああ。うーん、おふくろが怒ってんじゃねぇか、だって」

きょとんとしてしまった尚香の横で、孫権が珍しく大口でゲラゲラ笑い出した。
そして突然、孫策の胸中に話の流れからするとだいぶ見当違いな思いが湧き起こった。

「いい家に生まれたなぁ、俺は」

余りに嬉しくなり口に出さずにはおれず、孫策はそう呟いた。





























孤独の血