「大坂は、やがて上様に逆らいましょうな」

「たしかに」

 上杉景勝は歩きながらうなずく。

慶長十八年である。

徳川家康の股肱の臣、本多正信が使者として米沢に参った。迎えた景勝は、正信は老爺といえども一部の隙も見せてはならないことを了承している。ゆえに景勝は、正信への歓待を、城から出てすることに決めた。自戒のためだ。

そこは景勝の生まれ育った越後ではない。季節は春を過ぎたばかりで、水田に植わった稲はまだ色が薄く、短い。いずれ夏が過ぎ、収穫の時期になるが、いかにも穂が頼りないように景勝には感じられた。

不識庵さまは、謙信公は、と景勝は思い出す。義を重んじた。幼少のうちから優秀であったという。やがて兄と家督を相争うことになるのは明らかであった。家臣に吹き込まれて、内心感づきつつ信じ、上杉に姓が変わっても孤独を生涯抱えつづけた。空しさは義によってすくわれると唱え、だがそれは余裕だったのだろうと、景勝は今にして思う。悲しみを忘れなかったのは、飢える苦しみを知らなかったからだ。景勝は、米沢に移封されてからというもの、精練さ、潔癖さについて疑いをはさむようになった。ときおり懐かしむものの、順応力の高い兼続が、羨ましかった。しかし今は、米沢こそが景勝の領地なのである。



 正信が続ける。

「そこで我らは、しかるべき場所に関所を設け、大坂へ向かう者を留めようと思っておりまする」

景勝は、瞼をおろした。今でもはっきりと思い出すことができるのは、弁丸と呼んでいた少年のすがただ。弁丸は真田家からの人質であったが、景勝には可愛かった。景勝は当主となってはじめての質であったから、だからこそ丁重にもてなしたい、表裏比興の戦上手真田家の次男を侮ってはならない。はじめはただそれだけで迎えたが、弁丸は真綿のように智識を、何よりも義という思想を吸収し、景勝にはそれが楽しかった。海を知らぬ弁丸を連れ出して、ともに眺めたこともあった。



 あのころは、あのころは。

「……無用でございましょう。一揆ほどの人数しか集まらなければ、団結して固まることもありましょうが、大坂の金銀は限りがありませぬ。ばらまき過ぎて、一和せず内側から崩れてゆくでしょう」

あのころが不変であるがごとく、関ヶ原のあと配流になり兄と別れたはずの弁丸もまた、景勝のなかで変わらない。人質であっても自由闊達だったのだ。紀州にあるはずだと、壮年を迎えているはずだと思っても、不思議なほど、信じている。

「関所を設ける必要はありますまい」

 景勝は、口のなかだけで呟いた。

 さあ、おゆき。












「名将言行録」、景勝さまのところを読んでいて考えついたネタ。「天地人」っぽいような、「風林火山」っぽいような、藤沢周平読後といことがまる見えなような。

 

 

2009/01/05 再録