建安二十四年(二一四年)陸遜は、主君孫権に命じられて都を発った。陸口から建業に向かう呂蒙の見舞いが名目である。呂蒙はここ一二年体調が思わしくなく、療養のために戻ってきているとのことだった。つまり、名目はきちんと存在しているのだが、目的はそのほかにもあった。

 呂蒙の任地である陸口は、蜀の関羽が治める江陵の隣地である。今のところ魏を敵として蜀と呉は同盟関係にあるが、長くは続くまい、というのが陸遜の考えであった。

陸遜は呂蒙の館を訪ねた。部屋を訪ねて供手をすると、呂蒙は自ら椅子を降りて、陸遜の元へと降りてきた。何事も、自分でせねばならない方なのだ。その向上心が、陸遜には憧れだった。呂蒙らしさが失われていないことに安堵するが、呂蒙の、袍を肩に掛けて厚着している様と、髭でも隠しきれない痩せた頬が目に入ってくる。陸遜はどれだけ「座っていてください」と言いたいか知れないが、部下の前で腰をおろすような呂蒙ではない。

 ごほ、と呂蒙は咳き込んだ。涸れた、いやな感じがした。

「風邪を、こじらせただけだ」

 陸遜ははい、と肯く。

「風邪といえども馬鹿に出来ません。ご自愛ください。」

「陸口を空けるなど、してはならぬと思ってきたのだが」

「関羽は隙あらば三国の中心地である要所、荊州全土を手中に収めたいに違いありませんね」

 荊州は三国の中心に位置している要所である。いまのところ荊州はこうして呂蒙や関羽たち連合国で分割されているが、すべてが欲しいのは、呉も同じなので蜀の野望は手にとるようにわかった。

「こちらも魏に攻め入るために、荊州が欲しい。長江上流まで勢力を伸ばしたい、とは周大都督の言でありましたか」

「よく覚えているな」

 呂蒙は懐かしげに、目をすがめる。

「忘れるはずも、ございません」

 陸遜も瞼をおろした。二人にとって周大都督、とは赤壁の戦いのとき呉の大都督をつとめた、周瑜に他ならない。常に先を見据えたすぐれた軍師であったが、九年前に病に倒れた。魏八十万を二十万で打ち負かした赤壁の戦いは陸遜に、胸のすく想いをして残っている。だが十二年が経っていた。そのあいだに、赤壁の火計に功のあった黄蓋が死んだ。?統も死んだ。二十八だった。孫家の雄飛に、孫堅の代から内助をつとめてきた孫賁も死んだ。

 呂蒙の病も、長い。

 陸遜は再び瞼を上げた。鳶色の眼がつりあがっている。

「関羽が江陵を離れている現在が好機ですが、やはり向こうもそれは警戒しています。狼煙台を設置して、合図があれば、すぐ引き返してくるでしょう」

「なかなか油断せんな、関羽という男は」

「きっとそれは、子明殿の武勇が轟いていらっしゃるからです」

 陸遜は呂蒙の椅子に一歩近づき、上半身を曲げて耳元で囁いた。

「病を理由に、わたしに陸口をお譲り願えませんか」

 呂蒙が静かに眼を見開く。

「わたしはまだ若く、これといった戦果もあげておりません。ですからへりくだった文面も、慣れております。関羽を油断させるには、わたしはそれが最善かと思います」

「伯言、」

「わたしに、やらせてください」

 呂蒙は、陸遜をはかるようにみつめていたが、陸遜は睨むようにして鋭い眼差しを解かない。

「だまし討ち、ととられるかもしれんぞ」

「わかっております」

「少なくともいちど、お前は軽んじられる」

「構いません」

 呂蒙は息を吐いた。

「おれから殿に申し上げておこう」

「ありがとうございます」

 再び供手をして、退室する陸遜の背に、呂蒙は付け加えた。

皆が殿を置いて死んでいったように、

「おれは、おまえを置いていくだろう」

 陸遜は振り返らずに、返した。

「だからこそ、わたしは孫呉を勝利に導かねばなりません」







(未だ消え残りお前の後ろ髪を引くような真似を真白い頃の淡く大袈裟な追憶が許した)













最後の()は椿屋四重奏の「なれのはて」より。