―俺は戦争屋だ。
俺の肩書きはそれだけだ。
他にもあったかもしれないが、どれも失ってしまったか、さもなきゃ意味を成さなくなった。

俺にとって戦は、職人が器に漆を塗るのや、農民が土を掘るのと同じで、
何も考えずに出来てしまう、日々の仕事だった。
戦が嫌いで嫌いで仕方ない奴が大勢いるのは知っていた。
でも自分の商売を悪いものだと思いはしなかった。
じっさいもう何年も何年も続いているものだし、俺が何をしてやれる?
実際起きてるものは起きている、仕方の無いことだ。
元々誰かが望んでいるから、あるんだろうし、
最初におっ始めた奴(奴ら、か? 一人じゃできないからな)はとっくに死んでるだろうに、誰もやめようとしないんだから、それが時勢ってもんだろう。

嫌いな奴らには、残念ながら少数派だったって事で諦めてもらうしかない。

俺は銃を愛していた。俺の仲間達も。
だから、雑賀衆は最強だったんだ。
戦人なら誰もが俺らを厄介がり、相手にしたがらなかった。
それが俺らの誇りだった。
銃を、戦を、勝利を愛していた。
敗北すら愛していたかもしれない。
自らが傷付くことも、仲間の死も、無いと生きていけないくらいにな。
自分に納得のいく説明すらできないんだが、とにかく、状況が悲惨なら悲惨なほど笑えてくるんだ。楽しくなってくる。
死にまくってるのが敵でも、味方でも、両方でも。
人生、何もかもがうまくいってるって訳じゃあなかったが、
女と戦があれば、俺はそれでまあまあ幸福だった。

いつだったか、俺達は護衛の仕事についていた。
一向一揆なんてもんが流行りまくってた頃に。
仏僧の護衛についたんだ。
これがそもそもの始まりだな。

俺には生涯の敵がいた。
それが織田信長だ。

知ってるだろうが信長って奴は……とんでもない奴で、その時も火をかけるなんて真似までした。
民兵達に何が出来る?
兵と名は付いてるが、槍一本構えるのがやっと、ろくな具足も持っちゃいない奴らが?
潔く死ぬか、抵抗して死ぬか。
まあ、どっちも犬死にだよな。
俺は降伏が手だと思った。
取り敢えず生き延びておくのが一番いい。
生きてさえいれば、また死ぬ機会なんて沢山あるだろうからな。

炎の中、逃げ道の案内をした。煙の量は息も出来ないくらいだった。
奴らどうあっても肺に入り込んで、自分の火種を増やしてやろうと、容赦なく俺たちの顔を攻撃した。
炎自体に触れないように気を付けてはいたが、
それでも皮膚は焼け、ピリピリ痛んだ。
皮膚全体が赤く、酷く熱を持っていた。自分で自分に触ったら、ヤケドするくらいに。
全身からもうもうと湯気が出ている。水が体から勝手に逃げていってるんだ。
踏み出す足が一歩毎に、確実に重くなっていく。
寺の頭である証恵って男の悲鳴が聞こえて、振り向くと織田の兵士がいた。
そいつ自身も炎から逃げていた様な顔をしていた。
まだ俺に気づいていない。炎に精一杯で……だが気づくより俺が早かった。
俺は火縄の柄でそいつの顎を思い切り叩いた。
そいつは炎の中に倒れ、一瞬で顔や手や、出ている部分が火脹れまみれになって、それがみるみる膨らんで、弾けて、ずるずるの肉が剥き出しになった。
それでも立ち上がったが、具足の重みでまた倒れた。
まだ生きてたとしても、もう関係ない。
悲鳴を上げてただろうが、よくわからない。元々が辺り中悲鳴だらけだった。
証恵は呪われた様な顔をしてその炎の下でじたばた踊る手足をじっと見つめていた。
自分だって死ぬかもしれないってのにな。

「ほら、行くぞ」

先を促した。一言、口を開くだけで喉と肺が焼け落ちそうに痛かった。
証恵は赤く火照りきった、流れる汗も一滴も残っていない顔を俺に向けた。
俺は少し苛立った。
奴の背後を、両脇を炎の壁が覆っている。見えはしないが俺の背後も。
なのに立ち止まるんだ。わかるよな。そんな事すれば幾らも待たずに炎に飲まれて一貫の終わりってこと。
あいつは言った。

「無理だ……もう」

死にたいって顔をしていた。俺は答えないで先を急がせた。信長の元へ。
奴は抵抗しなかった。もう何も言わなかった。

「やめろ!降伏だ!!」

失語症になったみたいに黙りこくっている証恵の代わりに声を張り上げた。
やっと着いた敵陣は燃えてこそいないが充分暑かった。
全く火の手から逃れた感じがしなかった。
まだ燃えてるみたいだった。
煙。あちこちから悲鳴。炎の音、倒壊の音。
一人の男だけが、信長だけが、氷の中にいるみたいだった。
信長と目があった。俺は信長を見ていた。
だけど信長は俺を見てはいなかった。
辻褄があっていないと思うか?
俺の説明の仕方が悪いんだ。
――例えば、緑の広がる景色を眺めている。
ぼんやりと、何本か生えている木の内の一本を見ている。
でもそれを“木を見ている”とは言わないよな。“風景を見ている”んだ。
偶々木に焦点が合っているだけだ。どこかには、焦点を合わさないといけないからな。
つまりはそんな感じだった。
目の前の風景を見ていて、その中に人間がいる、って目だった。
俺を俺として、証恵を証恵として見ていなかったんだ。
石ころが突然、目の前に転がり出たみたいに……
火脹れの一つも無い奴の姿を見る内、段々腹が立ってきた。
こいつが火を掛けた。
なのにその事について何も感じていない。
指一本動かさず、傷一つつかず大勢殺しておいて、木があるから木を見るように、俺らがいるから、俺らを見ているだけなんだ。
視界の端によろよろと前に歩み出た証恵が入って我に返った。
信長の前までいくと崩れ落ちる様に膝を付いた。
項垂れて掠れた、感情の見えない声で、

「そこの男の言う通りだ……我々は降伏する。処遇はそちらで、」

俺からは丸まった背中しか見えなかった。
服はあちこち焼け落ちていて、爛れた皮膚から体液がじくじくと滲み出していた。
焼けた頭皮が見えていた。焦げて垂れ下がっている衣服は惨めそのもので、残酷な言い方をするなら、滑稽ですらあった。
いつだって本当の不幸ってのは、真剣味なんて考慮しちゃくれないもんだ。
あいつは全く上手く、炎を避けられていなかったらしい。
みじめったらしい姿。みじめったらしい戦。負け戦。死人。俺。

「決めてくれ」

血飛沫を見た自分の目が信じられなかった。
信長が証恵を斬った。
首を刎ねたんだ。
血が俺の膝にも撥ね掛かった。

首を失ったあいつは、そのまま膝から崩れた。
だが、また立ちあがった。
そのままぐらぐら揺れた。
そしてまた膝を付く。揺れながら。
何度かそれを繰り返している。全身べとべとになりながら。

見間違いじゃない。こんなに良く覚えていることも無いくらいだ。
未だにこの光景をよく思い出す。思い出すような状況じゃなくても、思い出す。
目の裏に張り付いてるんだと思うんだ。
次いで信長の声。ここまでが一くくりで、いつまでも俺の目の裏に張り付いている。

「決めたぞ」

俺はしゃがんで銃を下ろし、弾を込めた。
信長の軍はざわついた、だが動きはしなかった。
殆ど身じろぎもしないまま信長が制したんだろうと思う。
俺は銃を掲げた。
一切信長を見ないまま、証恵の胸めがけて引き金を引いた。

――死体が転がっていた。この上無く無様な姿で。
だけど俺を打ちのめしたのは奴の死に様じゃなかった。
最初に炎の中から奴を引っ張り出した時から、見えていたが、俺が問題にしていなかった事。
大丈夫かと尋ねた俺の顔を、返事もせずにぽかんと見ていた。
「もう無理だ」と立ち止まった。
あの時の虚ろな目や、信長に降伏を伝える背中に比べたら、死に顔の方がまだマシだったんだ。

俺は絶望しきっている男を、追い打ちを与える以外何にもならない所へ引き摺っていって、
最後の尊厳まで奪った。
どうやらそうらしかった。

その時わかったんだ。死ぬことなんか大したことじゃない。
確かに大概の事よりは御免被りたいが、正気を剥ぎ取られて放り出される事に比べたら全然大したことじゃないんだ。
自分は人間だって事とか、生きながら焼かれなくってもいい筈だとか、自分の顔や手足はこういうものなんだって事、自分や家族や自分の知り合いや、それ以外の人間。世界。
存在しているし、明日も明後日も存在しているもの。
今は生きているが、老いれば死ぬんだろうという漠然とした思いや、まあ当面はないだろうという思い。
はっきりと自覚する必要すらない、明らかに当然な事実が、人間を人間にしているんだよ。
その最低限の部分が剥ぎ取られたとしたら人間は――どうなると思う。

自分とボロ切れの区別が、つかなくなるんだ。

ただ立ち尽くす。
そこに、そんなあんたの状況に全く無関心な、戦場慣れした男が助けに来る。
助けると言っても命だけだ。他の何も返しちゃくれない。
そいつはあんたの体に内臓の代わりに押し込まれたボロ切れ――虚無に気付かない。
そしてあんたに、生きる為に膝を折れと言うんだ。
頭蓋骨の中から脳味噌が蹴り出されて、あんたはただ従う。
あんたから“人間”を奪い、“無“ にした張本人の所へ連れていかれる。
そして斬られる。それで全ての終わりだ。
それが証恵の死の全てだった。
最期の立ったり、座ったりを除けば。

それがどんな感じのものかちょっと想像してみてくれないか。
俺が招いちまった死に様ってものを。

――何でもない死だったのかもな。
あちこちで毎日起きている、取り立てて言うこともない、普通の出来事。
狩りと称して鳥を撃ち、鳥が落ちるような。
その度に何か思う奴なんて居ないよな。居たとしたらそいつは狩人に向いてない。
何も思うべきじゃなかったんだろう。
この時何も思ってなければ俺は――よそう。

「逃げ帰るも、死ぬも、好きにせよ」

信長は俺に視線を移した。
そして俺にこう、言い捨てた。
俺は火縄を肩に担いで踵を返した。
嘲笑う声の一つでも飛んでおかしくなかった。じゃなきゃ、誰かが俺を殺せと進言するか。
統率の力か無関心かはわからないが静寂だけが場を包んだ。
俺はその場を去った。証恵の切れっ端を置いて。

大分離れると走り出した。
ガサガサと草木を分けて。
急がなきゃならなかった。先に回り込む必要があったからな。
そこを通ると知っていたわけじゃない。わかったわけでもない。
ただ、通って貰わなきゃ困るんだ。
俺は弾丸みたいに走った。前も見えないで走った。速すぎて前が見えないんだ。大袈裟みたいだけど、本当だったんだぜ。
走って走って、視覚を取り戻した。
目の前に信長の心臓があった。
軍を引き連れて、馬に乗った、体の真ん中にある、信長の心臓が。
確かに人間の真ん中はあそこなんだ。人間ってもんがちょっと歪んで付いている。
引き金を引いた、ズドン、それで終わりの筈だった。
だがあいつの心臓が弾を弾いた。
辺りは騒然として、一気に死は俺に興味を移した。
逃げなきゃならないってのに俺は馬鹿みたいに突っ立っていた。
胸を押さえて俯いていた信長がこっちを向いた。
間違いなく俺を見ていた。
人の顔の、目があるべき位置に、裂け目が走り、そこから地獄が覗いていた。
目玉を通して、地獄が俺をじっと見ていた。
信長が、ゆっくりと体を起こした。
額を指で差して笑った。
俺の中で殺意が膨れ上がった。
男だったら、相手が誰だろうと、一瞬たりとも黙ってそんなことをさせておいちゃいけないって事はわかるよな。
信長のやった事は五十以上の意味があるが、つまりはこういう事だ。
やつに対しても、奴の軍に対しても、死んじまったあいつや、他のどの死体に対しても、今は消えてしまった、俺の頭の中にあったごく普通の世界に対しても、俺自身の為にも、他の誰の為にも。
俺が出来ることは何もない。


無力を笑われて、殺しちゃいけないなんて法はない。殺すべきだ。
俺は元々いい加減な人間だし、好きに生きようと思えばそうできた。
全部無かった事にして、ごめんな、仇を取ってやれなくて、なんて嘯いてふらっとまたどこかへ行く。自由に生きる。
だけどそうはしなかった。
こんな事を無かった事に出来るんだったらいっそ、四つ足で生きたらいい。それで充分だ。
誇りを傷つけられて、その怒りを無かった事に出来るくらいならな。
ついでにナニも引っこ抜いちまえばいい。
男じゃなくなって構わないってんなら、それで充分の筈だ。
冗談じゃない。俺は戦と女が好きなんだ。
だったら男であり続けなきゃならないだろ。

それから、俺は必死で逃げた。
殺すためには命が必要だ。単純な話だろう?
死はしつこく、笑いながら追ってきた。
偶に遊んでるみたいに、俺の肩や背をつついた。
地獄も俺を見ていた。
俺が怯えているか、恐れ、震えているのかどうか、じっと探っていた。
俺は微塵もびびっちゃいなかったが。
そん時にはもう、俺の瞼の裂け目の奥にも地獄があったんだからな。

こっちの人間の生き残りはそう多くなかった。
殆んどが炭と骨と、炭になりかけの骨になり、生きている奴らも炭のほうがまだ生きている様に見える位の有り様だった。
雑賀の奴らを別にして。
奴らには今回の事なんか少しも堪えてなかった。
身体中の火傷も、敗北の味もなんでもないみたいに、きっとした顔をしている。
大した奴らじゃないか? 俺はあいつらが大好きだった。
一人が俺を見つけて言った。

「ご存命だったのですね」
「見ての通りな」

その日最後に俺がまともに発した言葉がそれだった。
笑いが止まらなくなっちまった。
全部が大袈裟な冗談みたいに思えてくる。
この時のは特に酷くって、俺は窒息して死ぬところだった。
俺は腹を抱えて、体を九の字に折った。そうじゃないと耐えられなかった。
俺は膝をぴしゃぴしゃ叩いて体を大きく前後に揺らした。俺は倒れ込み、地面を転げ回った。俺はガキみたいに手足をばたつかせた。俺は――まあいい。
とにかく、胃が、喉が、締め付けられて痛ぇんだよ。おい、誰か止めろよ。頼む、止めてくれ、そして何があったのか聞いてみてくれよ、全く傑作だ!
実際には誰も止めちゃくれなかった。
もう皆慣れっこで、雑賀孫市はそういうもんだと思ってるんだ。
つまり俺は頭がおかしいと思われてたのかもな。
だけど昔っからそうなんだから、それが俺の正気だったんだ。

赤ん坊の泣き声がした。まだ乳飲み子らしかった。
おい、何でこんなところにそんなガキの声がするんだ?
俺の笑い声に怯えたのかもしれない。
こんな状況で生きているなんて、全く運が良いよな。
こんな目に会わなきゃならないなんて、全く運が悪いよな、悲劇的だよ。
大きくなっていけば、その内俺の気持ちも分かるかもしれない。
ここで死んでりゃ生涯何も知らないまま。
どっちが悲惨か、まあ個人の好き好きってとこか。
何とか息が整ったから、寝に帰った。
暫く余波として吹き出した。どうにも収まらない。
とんでもなく興奮していた。奴の事を考えると胃を吐き出しそうだったが、それがあんまり嫌な感じじゃないんだ。
殺意が頭の中にある事で気持ちが安定していた。
誰も俺の変化に気が付かなかった。それは当然なんだ。
信長を殺すことは、俺の脳に完全に腰を落ち着けた。ただの当然になった。
地獄は俺の一部になったんだ。何も変わってないのと同じくらいに、俺ってもんの中に納まったんだ。元からあったみたいにな。


横になるとちょっとした痛みが襲ってきた。
忘れかけていたが、さっきまで炎の中に居たんだった。
皮膚全体が軽く炙られたみたいになっているわけだ。
虫が鳴いていた。不思議なもんだ。
死線を潜るといつも思う。生と死をわけたのは何だったのか。
どの瞬間に死んだっておかしくないんだ。本当はな。
今も含めて、死なない保証のある瞬間なんかないんだ。
なのに俺はその全てを掻い潜って寝転んで、今虫の声を聞いている。
なんでそんな事が可能なんだ? 俺は。
そう考え出すと、そうじゃなかった俺が大勢頭に浮かんでくる。
炎に巻き込まれて焼け死ぬ俺、一瞬動くのが遅れて敵に殺される俺(実際には一瞬早かったから俺が殺したんだが)、信長に斬られて死ぬ俺、証恵の様に。撃ち損ねた騒ぎで死から逃げ切れなかった俺。
俺の死体が積み上がっていく。
どれも実現しなかった。取り敢えず、今日のところはな。
死線を越えるといつも思う。
まさにその上に立っている時は頭に浮かびもしないんだが。
真っ只中にいるときはいつも、死ぬなんてあり得っこないと思っている。
敵が、味方が、関係ない無実の奴らが、無力な弱い奴らが死ぬことは有り得ても自分にだけは。
でも死んだ奴らもそう思ってたんだろうな。
その日の、その瞬間まで。それに……

全身の不快感は俺がこれだけ考える間、眠りに付くのを妨害し続けていた。
どんな体勢を取っても寝床に当たっている部分が、ひりひり嫌な感じに痛むんだ。
何だか知らないが、これじゃ寝ている間に完璧に寝床に貼り付いちまって、朝起き上がると同時にべりっと皮が剥げちまうんじゃないか? いっそ立って寝るのも手かもしれない。
だが俺は起き上がれなかった。
疲れきってへとへとだった。
虫の声が聞こえないと思ったらその時には意識がなかった。






















代償の血を流せ 2−1