「長尾の父は斯様にぬるい夏の日に死んだ」
濡れ縁に腰かけて、真田家からの人質である弁丸を膝に乗せている。上杉景勝は、庭の池をさして指先をくるりと回してみせた。
「同船していた宇佐美定満と相討ちになったというのが専らの噂であった」
宇佐美定満は、上杉謙信が礼をもって家臣に迎えた軍師である。腹心であったと、その頃は武田信玄に仕えていた真田家でも耳に入った。武田家の滅亡後、継いだ草の者たちは口を揃えて言う。上杉謙信は戦を好んだが謀略は嫌って、忍びを重視しなかった。しかし定満は進んで用い、情報戦となることが多々あったらしい。
「長尾の父は父上と遠縁にあたり、父上が上杉家を継いだことに不満を持って謀反を起こしたこともあった」
景勝の母、仙桃院は長尾政景の妻だが、その前に父上の実姉であったと、景勝は呟いた。景勝が「父」といえば、それは上杉謙信のことである。
弁丸ははい、と聞いている。
庭には樹齢二〇〇年は超えるだろう、しかし葉は青く茂る松が植わっている。蝉が取りついているようだ。
寂けさに響く。
「だが、父上が『子になれ』と仰せになったとき、恨みはすべて消えてしまった。父上は魅力ある御方だったから」
景勝は瞼をおろした。無骨な頬に落ちる睫毛の影は、存外に長い。
「これは『義』はではないのだろうな」
景勝は呻いた。弁丸を後ろから抱き締める腕に力が込められる。
弁丸は、もしもわたしだったらと考える。父が殺されるようなことがあれば、自分は復讐するだろう。殺人者の築いたものをすべて壊してやるためならば、地の果てまでも追いかける。けれど。
「正しいのです、どちらもきっと」
あなたが迷わなくなる日まで、言い続けられたらいいのにと弁丸は祈った。