同居をはじめよう、と言い出したのは伊達政宗で、以来台所とユニットバス、五畳半と押入れが二人の小さな城だった。政宗のほうは金を持て余す家系に生まれつくことを運命づけられているらしく、彼らは高級マンションに暮らすこともできたのだが、学生である真田信繁の生活水準に合わせた。家賃は折半となった。

小さなアパートの部屋の夏場は、クーラーがよく効いた。政宗は部屋を冷やして、布団をかぶって腹ばいになりながら読書をして昼間をつぶすのが好きだった。幸村はそのつど電気代が勿体ないと申し出て室温上げる。今日も応酬を繰り返して、夏期休暇を浪費するかと思われた。けれど今日は政宗が「風林火山」を読んでいて、

「そういえばほうとうは信玄公起源というのはまことか? 」

 と尋ねた。ほうとうは、かぼちゃを中心としてねぎやらたまねぎやらじゃがいもやらにんじんやら季節の野菜とうどんをぶっ込んで、味噌で煮こむ甲斐の郷土料理である。

文化机でレポートを片付けていた信繁は、

「それはさすがに伝説ですが、武田の遺臣が馳走してくれたことはありました」

「ふうん、うまいか?」

「夕飯は、ほうとうにしましょうか」

 そういうわけで、夕食が決まった。政宗は否やもなかったが、少しだけ季節感が気になった。すると、夏場はねぎやじゃがいもを入れて、それはそれで成り立つという返事がかえってきた。

政宗と信繁は、四時過ぎになるのを待って、少し遠いスーパーに買い物に出かけた。近所には生協があったが、夏場にかぼちゃを揃えていなかった気がする、それにスーパーでは水曜は鶏肉がタイムサービスなので、ちょうどよいです。政宗はそうか、と頷いた。政宗は料理の腕はちょっとしたものだったが、典型的な男の料理で、なにしろ一食に五千円以上をかけてしまう。「ああもう、盆と正月だけにしてください!」と、普段キッチンに立つことは、信繁にかたく禁じられていた。それでも向上心と興味だけは尽きないため、同行することにした。信繁は「予算は決まっていますよ」と苦笑して、きっちりと財布の紐をしめて、買い物を済ませた。政宗はそのあいだおとなしくして、信繁の手際のいい手を見ていた。信繁にはこの世においても槍術のたしなみがあり、てのひらは豆だらけで、指は節ばっている。それがまるで主婦のよう!政宗は毎日驚いて、どきどきしてしまう。

「ただいま」

 信繁がネギのはみでたエコバックを提げてドアの鍵を開けた。政宗は、

「おかえり」

 と答えて、コントのようだなと思った。そう思うとおかしくて仕方がなくなって、信繁のまだ鍵を握っている手を掴んでむしゃぶりついた。

 そのまま押し倒してしまったので、ほうとうにありつくのは八時過ぎになったのであった。





ほうとうが食べたかったのだが